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「お茶」であれば、今まで学生時代の部活や、習い事なので親しんできた人、または現在でも親しんでいる人は多いのではないでしょうか。

しかし現代社会において、本来の意味での「懐石」に親しんでいる人は極少数なのでは、と思います。

日本料理を提供するお店では懐石を名乗っているお店は多くありますが、そのほとんどは既に「会席」と意味を同じくしています。厳密なことをいえば「茶懐石」「京懐石」などという言葉は本来は存在しませんし、懐石のことは「懐石料理」とすら表現しないものなのです。

懐石のルーツ

懐石が茶の湯にルーツを持つことは、別頁でもご紹介しましたが、今回はそれを少し掘り下げてみたいと思います。

茶の湯の一部である懐石は、茶の前にもてなすお凌ぎ程度の食事と言うのが本来の意味であり、もともとは「振舞(ふるまい)」と呼ばれた食事でした。

この振舞は、時に「仕立」や単に「料理」とも呼ばれ、懐石と呼ばれてはいませんでした。

こうした振舞が、懐石と書物にあらわれる様になったのは、実は江戸時代以降のことであり、江戸時代の前、室町時代までは茶事のことを「数寄」と呼び、茶会は「数寄」と「振舞」から成り立っていたのですね。

当時は茶会に招待されると、茶事で必ず酒と料理が出され、その後に濃茶と薄茶(この薄茶が現代のお抹茶と同じくらいのお茶になります)の饗応がありました。

つまり、初めはお茶を純粋に楽しむため、お客人が空腹でお茶を喫さないように出される料理のことだったのです。

ゆえに純粋な懐石は一汁三菜が基本であり、現在料亭で出されるような豪華な食事などでは全くなかったのです。

茶の湯以前のお茶

お茶が日本に伝わったのは奈良時代で、この頃のお茶は「薬」であり、楽しむものではありませんでした。

というのも、お茶にはタンニンやカフェイン、カテキン等が含まれているので、解毒や眠気覚ましの作用があるのです。

古来はこの効果によって、空腹時にお茶を飲むと胃を痛めるということが既に知られていて、お茶を飲む前には必ず軽く食事を摂るような習慣があったのです。

現代において薬を食後に飲むのと同じですね。

また、客人を招いてお茶の席を設けるに当たり、お茶だけで帰すのは忍びないと、お茶の前の食事まで出すようになったのです。

さらに千利休が追求した「侘び茶」においては、茶の湯の前の食事と酒というところの酒宴が切り捨てられ、1品ずつ、簡素でも趣向や情趣をもった食事が出されるようになっていったのです。

そしてここで、質素でありながら「温かいものは温かい内に、冷たいものは冷たい内に」というスタイルが確立されていったのです。

こうして、侘び茶が隆盛していく随って、懐石には「もてなしの心」の比率が大きくなり、季節の趣向を凝らしたものが増えていったと言われています。